みなさんこんにちはこんばんは。
突然ですが私は両性具有、いわゆる"ふたなり"が好きです。
しかし、ふたなりが好きな点は挙げられども、"好きになった理由"を挙げられない(思い出せない)ことに気づきました。
ただ"好きになってしまった"という初恋のような理由でも良いのですが、できるだけ理由を探してみようと思い、今回は真面目に記事を書かせていただきます。
まずは両性具有の起源から。
起源はギリシア神話のヘルマプロディトスとされています。
ヘルマプロディトスは父ヘルメス、母アフロディーテの下生まれたすこぶる美少年です。
ある日泉で水浴びしていた所、その泉に住んでいた女性の精であるサルマキスに強姦されてしまいます(おねショタ案件)。
その際サルマキスが神々に「一生離れたくない」と懇願したところ、二人の体が融合して両性具有者が出来上がったということです。
要約するとおねショタ逆レイプしたらふたなりっ子が完成したって感じですね。
また、プラトンは著書「饗宴」にて、かつての世界は男と女という現在の性ではなく、アンドロギュノスという両性具有の種族がいたとしています。
アンドロギュノスは一つの体に二つの頭、四つの手足を持っていたとされています。
そのようなアンドロギュノスは人間の"完全体"とされており、その完全さを驚異と感じたゼウス初めとする神々がアンドロギュノスを半分に、つまり現在の男と女に分けたとされています。
私が上記で注目したのは人間の完全性という点です。
完全であるということは欠点や弱点、不足するものが全くないということですが、人によって完全という状態は異なると私は考えています。
例えば私の考える"完全"は巨根巨乳玉ありふたなり美少女であるのに対し、他の一方は全く別の完全を考えているという事が往々にして起きます。
しかし人間が完全であるということは一般論としての完全を指し、あらゆる人間がそれを"完全である"とみなすことと捉えられます。
あらゆる人間が完全であるとみなすということは、それの持つ全てのファクターに対して
何も不足していない/欠点など無いということを指すため、憧れを越したある種の敬意のような感情を抱くことに繋がるのではないでしょうか。
しかし完全性を持つ両性具有に関して否定的な意見を持つ人もいるでしょう。本当に完全ならばそのようなことは起きないはずです。
それに対しては"既成観念"、"固定観念"という観念が説明になるでしょう。
男は男らしく、女は女らしくという観念がある前提で両性具有は完全であると言われても納得できないのは当然の事です。
既成観念や固定観念を排除した上で成り立つ完全性であるということが一つの注意点でもあります。
長くなりましたが結論としては、私が両性具有というものに惹かれているのはそのえっちさによるものではなく、両性具有の持つ完全性という概念に惹かれているということになります。
今回この記事を書くに当たって色々と調べましたが、まるで自分のルーツを探っているような面白さがありました。是非みなさんも一度自分の中の性癖について考えてみてはいかがでしょうか。
P.S.
まあえっちであれば何でも良いんですけどね!